Amenable True Face(素直な素顔)

ここはとあるテレビ局…
伊織「少し悔しいけれど、これも結果よね…」
伊織は休憩中に楽屋を抜け出して、一人テレビ局の屋上に佇んでいた。
びゅうんっ
伊織「寒…プロデュ…そうね、一人だったわね」
時はもう夜に変わろうとしていた頃。秋と言う季節の風が伊織の体温を奪っていた。
伊織「まだ時間はあるし…今は一人にしてって言っちゃったし…」
貴音「どうされたのですか?水瀬伊織」
伊織「…ちょっと寒いと思っただけ…え?貴音!?」
貴音「ええ…ごきげんよう伊織」
伊織「何よ、私を負かしたから蔑みに来たんでしょ?」
そう。今日のオーディション、貴音が1位、伊織が2位だったのである。
貴音「いいえ、ただわたくしは月を眺めにこちらへ…」
伊織「そう…」
貴音「今宵の月はとても綺麗ですわ…」
伊織「まあ、そう…ね」
貴音「伊織はどうしてこちらに来ているのです?」
伊織「貴音の所為よ」
貴音「…?それは?」
伊織「アンタに負けた自分が…悔しくて少し気持ちを落ちつけたかったの」
貴音「それが現実でしょう?受け止めていただかないと…」
伊織「分かってる、分かってるわよ。でも1位が取れなかった自分がどうしても許せなくて」
貴音「わたくしと伊織にはまだレベルの差があるのですから」
伊織「ええ。でも今回は何とかなるって思ったのよ」
貴音「伊織はその程度ですか?」
伊織「えっ…」
貴音「わたくしは伊織以上に努力、勉強を積み重ねているつもりです」
伊織「そ、それが何なのよ」
貴音「運は運。それが実力に勝ることなど限られていますでしょう?」
伊織「…悔しいけれどそうね…」
貴音「この世界は運だけで上がれるほど甘くはありません。ですから今の伊織では勝てないのも当たり前でしょう?」
伊織「…分かったわよ!これ以上の講釈は沢山よ」
貴音「そうですか…」
伊織「でも一つだけ言わせてもらって良いかしら?」
貴音「何でしょう?」
伊織「今の自分、貴音は楽しい?」
貴音「な、なぜ?」
伊織「今の貴音は悲しげで、とても楽しそうになんか見えない」
貴音「そんなことどうして伊織に分かるんです?」
伊織「何だかやらされているって感じにしか見えないわ。それと…」
貴音「それと…?」
伊織「孤独…私はそれを今の貴音から感じてるの」
貴音「孤独…それは…」
伊織「やっぱり…何だか少し似た匂いを感じたのよ」
貴音「似た匂いとは?」
伊織「私やうちの事務所だと千早とか、輪に少し溶け込むのが苦手って匂いがしたの」
貴音「確かにそうやもしれませぬが…」
伊織「どうして…961プロなんかに入ったのよ」
貴音「それは…こちらの黒井社長にスカウトを受けて…」
伊織「それから何か変わった?」
貴音「先ほど申した通りです。社長の言われた通りにやっているだけです」
伊織「…それじゃただのロボットじゃない」
貴音「そうでしょうか?」
伊織「言われた命令通りに動くだなんて、ロボットでも出来る話よ」
貴音「ですが、わたくしにはそれ以外に出来ることはありません」
伊織「いい?貴音はロボットじゃない…」
ギュッ
伊織は貴音の手を握り締めた。
貴音「な…何を!?」
伊織「人間なのよ!温かい血が通っている人間なの!本当の自分を押し殺してまで、そんな人のレールの上で生きたいわけ?!」
貴音「どうして…どうして伊織はそんなにまでわたくしのことを…?!」
伊織「見てられなかった…からよ」
貴音「見てられなかった…とは?」
伊織「貴音の淋しそうな、孤独な姿。合格しても嬉しそうじゃなかったわ」
貴音「そ、そんなこと…」
伊織「自分に正直になって。私は本当の貴音を見てみたいの」
貴音「しかしそれは社長が許さないでしょう」
伊織「貴音はそれでもいいわけ?」
貴音「今は仕方ありません。これがわたくしの務めなのですから」
伊織「分かったわ。それなら一つ約束して」
貴音「何でしょう?」
伊織「アイドルアルティメット、私が勝ったら潔く本当の貴音を見せること」
貴音「よろしいでしょう。それではわたくしが勝ったならば…」
伊織「それも貴音に任せるわ。こっちも今言いだしたことだから、無理に今決めなくても構わないから」
貴音「それならば…はい」
伊織「この勝負、絶対に…負けないわよ」
貴音「今は負けることなど考えられませんわ」
伊織「そう高をくくっていられるのも今のうちかもしれないから、にひひっ!待ってなさい」
貴音「いつか最も高い所で真剣なる勝負いたしましょう」
伊織「まずはこの収録、お互い頑張りましょう」
貴音「そうですね…良い物にいたしましょう」
伊織「そういえば収録はまだかしら?」
貴音「あと2時間ほど、あの月があの辺まで昇る頃になりますか」
伊織「貴音は寒くないの?」
貴音「少し寒いですが…伊織こそこの寒空にわたくしより長い間居て寒くはないのです?」
伊織「ちょっと身体も冷えちゃったわ。そろそろ中に入った方が良いかしらね」
貴音「はい…でも今日はこうして伊織とお話が出来たこと、良かったです」
伊織「私も…一人だったらここで泣いていたかも。貴音のおかげでスッキリしたわ」
貴音「しかし伊織はわたくしとライバルであることは変わりませんでしょう」
伊織「そうね。だからこそ、今日の収録は良い物にするわよ」
貴音「わたくし達に掛かれば、造作もないことでしょう」
伊織「ええ。こんな所で手なんて抜いたら、良くなんてなれないもの」
貴音「はい…」
伊織「また貴音とはこうして逢えるかしらね?」
貴音「またいつか、このような機会に巡り合うこととなる気がします…」
伊織「じゃあまず次は、収録会場で会いましょう」
貴音「そうですわね。では、失礼いたします伊織」
伊織「またね、貴音」
貴音の去り際の唇、それは『あ・り・が・と・う』と確かに動いていた。
伊織「私もこんなところでくさるような私じゃダメね!」
伊織もそして貴音も、心の鎖が少しだけ解けていくのを感じていた…
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あとがき
どもっ、飛神宮子です。
3ヶ月に1回の割合で書いているいわゆる「961SS」。今回は貴音です。
961の貴音が誰かアイドルと絡むのは、実は初めてになります。いつもと少しだけ雰囲気が違うでしょう?
今思えば、こういう立場に立たされていた時代があったからこその…今の貴音なんでしょうね。
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2010・11・05FRI
飛神宮子
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